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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5476号 判決 1978年10月30日

原告 佐藤與一 外一名

被告 国

主文

一  被告は原告らに対し、各金一〇八〇万六八九五円及び各内金九八二万四四五〇円に対する昭和五〇年七月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一  本件事故の発生

請求原因1、2の(一)(二)の事実及び本件事故発生地(通称種差海岸)が水泳禁止区域に指定され、付近にその旨の立看板が掲示されていたこと、本件事故は、原告主張のような命令及び訓練実施計画に基づき山崎、稲葉両教官と沢田ほか六名の助教官の指揮指導のもとに実施されたレンジヤー訓練(応用イカダによる渡河訓練の一環としての水上訓練)において、応用イカダの浮上テスト中、突如押し寄せてきた高波にさらわれて参加隊員三〇名のうち佐藤勇治が溺死し、宮本武司、横欠武志及び庭田信の三名が溺れて救助された事故であることは、当事者間に争いがない。

二  本件レンジヤー訓練実施の概要

成立に争いのない乙第一号証の一ないし三、第二号証の一ないし六、第三ないし第五号証に証人山崎実、同稲葉泰重、同沢田勇一の各証言を併せ考えると、次の事実が認められる。

1  本件レンジヤー訓練の実施要領

本件レンジヤー訓練は、陸上自衛隊の教育訓練実施に関する達に基づき、昭和四一年五月一八日付レンジヤー訓練実施に関する第三九普通科連隊長の一般命令を受けて、レンジヤー訓練隊が組織され、訓練教官山崎実一尉、同稲葉泰重二尉において協議のうえ、日程に従い訓練要領の細目を計画立案して実施したものである。一般命令に定める訓練実施要領は、目的、期間(同年五月三〇日から七月九日まで六週間)、場所(準備訓練は駐とん地付近及び種差海岸)、訓練編成、訓練参加者の報告、実施要領等基本計画及びその大綱を定めて各中隊長に宛て、人員、資材等の差出し及び本訓練の参加を命じた包括的な一般命令に過ぎない。したがつて、右命令に基づく細部の計画、実施及び週間予定表の作成等については、訓練教官の自主的判断に委ねられ、山崎、稲葉教官において、同年六月二日、本件水上訓練の指導計画、訓練要領を立案、調整のうえ訓練隊長である副連隊長の決済を経たものである。

2  本件水上訓練の実施要領

右訓練要領及び実施予定表によると、本件訓練は、第三週目第一日に当る同年六月一三日、午後一時から三時まで二時間、種差海岸において、水上訓練(準備訓練の一項目)の課目として、レンジヤー学生に対し、応用材料を利用する浮体の作り方等について修得させる目的で実施することにした。バデイチームによる一五組の応用イカダ(訓練生個人の携行装備を水に濡らさないよう、小銃をX字型に組み、その下にヘルメツト、半長靴、作業服等携行品等を入れて底の空間を大きくし、下から天幕で縛着し、約一、五メートルの持手と後尾に約二メートルの紐をつけて水筒を縛り、これをうきにして応用浮体とし、水に浮かして曳行するものである)の作成、浮力点検に主眼がおかれ、これを曳行して着装水泳する計画は入つていなかつたが、行動時を設定して訓練生に装備をつけたまま入水し、浮体を浮かせることにした。

右訓練は当日午後一時一〇分から教官の説明展示、実習作成、準備体操の後、入水し(波打ちぎわから約五メートルのところ)、浮力点検、講評をして午後三時ころ終了する予定であつた。

3  安全管理の措置

訓練教官、助教官は現地に先行し、教官は午前中に実施場所を事前点検することにした。

安全管理の措置として、(1) 天幕の点検、(2) 入水時の準備体操、(3) 行動地域の指定、(4) 命令指示の徹底励行、(5) 救命用ボート、ロープ、救命胴衣等の準備をし、万一の場合に備えて教官班のみ海水パンツを着用することにした。また浮力点検の実施に当つては、(1) 入水後必ず教官の方に注目してその都度の指示に従う、(2) 勝手に泳がせない、(3) 別命のない限りイカダを離してはならない旨指導することにした。

4  本件訓練場所の選定、隊員の水泳能力

第三九普通科連隊は、地元八戸駐とん部隊のため、種差海岸の海象上の特徴、すなわち海底地形の複雑さ、潮流の激しい変化等に関する情報を事前に入手しており、山崎教官らは種差海岸が水泳に不適当な場所であることは認識していた。しかし、種差海岸は、当日の水上訓練に続いて実施予定の山岳訓練、胆力訓練の実施及び野営に適した岩場及び松林等が近接した場所に在り、部隊が移動するにつき時間的、場所的に便利であつた。更に昭和三九年度、同四〇年度にも同一場所で訓練が実施されたが事故は発生しなかつた。そのため同教官らは、一般命令の立案当初から同海岸を訓練場所に選定したが、同所における本件訓練の実施について何ら危惧の念を抱かなかつた。

なお、レンジヤー隊員は各中隊から選抜されたものであるが、その資格条件によると、前年度実施した水泳技能結果に基づき水泳検定基準二級(自由泳法一〇〇メートル、潜水一〇メートル)以上の水泳能力を有するものとされていたので、亡佐藤勇治も右程度の泳力は有していたが、各隊員とも着装水泳の経験はなかつた。

三  本件訓練時の具体的状況

成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第九ないし第一四号証、第一五号証の二、同号証の七ないし一六、乙第六号証の一ないし三、第七、第八号証、第九号証の一ないし三、証人佐々木孝の証言により成立を認めうる甲第七号証の一ないし六に証人沢田勇一、同宮本武司、同佐々木孝、同山崎実、同稲葉泰重の各証言及び検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件訓練時及び事故の状況

前記水上訓練の実施要領に従い、事故当日午後一時ころから、山崎教官の訓練概要の説明注意、稲葉教官の応用イカダの展示説明に続いて、約三〇分間、二名一組になつて一個の応用イカダを作成した。次に準備体操を行つたうえ、稲葉教官はロープを腰に巻き、訓練生三〇名を右ロープにつかまらせて、水ぎわから約五、六メートル海へ入り、海岸線に沿つて平行に約三〇メートル位水中を歩行させ、着装着靴した隊員を水に慣れさせると同時に、海底の状況を確認しながら応用イカダを浮上テストする箇所を指示した。右入水時、すでに沖合には高波のうねりがあり、海岸には波が砕けて白波が押し寄せていたので、隊員達は膝から腰の深さまで海水につかり、全身が打ち寄せる波のしずくに濡れた。続いて稲葉教官の命令により隊員二名が一組になり、約二、三メートルの間隔で作成した応用イカダを携行して海へ入り、前記箇所で一列横隊になり応用イカダを浮上させたところ、波打ちぎわ付近のものは波のため応用イカダが浮動するので、助教の一人が更に沖へ進むことを指示した。そこで隊員は約五メートルほど沖へ移動し、腰から胸の深さ(一部のものは首の深さ)まで海中に入つて、約一五分間浮上テストを実施した。右訓練中、隊員らは高波がかぶるのを避けるため、しばしば応用イカダをつかんで飛び上つたりしていたので、隊列が乱れ沖へ流されるものも出て来た。北側岩礁に近い処に位置していた亡佐藤及び宮本の第一四組と横欠及び庭田の第一五組は、岩のように襲つてきた高さ一メートル以上の高波に足をさらわれて更に沖合へ押し流された。砂浜に居た山崎教官は、直ちに大声で訓練の中止を命じ、沢田助教らをして救命ボートを出したが、波のため岸に押し返されて用をなさないので、稲葉教官、その他の助教らが海水パンツ一枚になつて海へ飛びこみ、救助活動をした。そして右隊員のうち、庭田は自力で岸に近づいたところを榊助教に救助され、宮本、横欠両名は波間に浮上しているところを稲葉教官、千田助教に救助された後、人口呼吸を施され、直ちに病院等に収容された。

その間に、岩礁で写真を撮つていた佐々木孝は、応用イカダにつかまり(小銃を縛着していたので、これを流すまいと努力していたものと思われる)、波間に浮上して片手を挙げていた佐藤を救助するため、裸になり、ロープを持つて泳いでいつたが高波に押し返され、また浅野助教も約二メートルの距離まで佐藤に接近したが、再三押し寄せる高波のため近付けず、佐藤は再び襲来した高波にのまれて海中に没し、応用イカダも浮上せず、遂に行方不明になつた。その後山崎教官の事故発生報告に基づいて、直ちに連隊を挙げて捜索するとともに、第二航空群、八戸海上保安部及び地元警察署等に捜索の協力依頼をしたが発見することができず、同年六月一五日に至り、行方不明になつた地点から沖合い約二〇〇メートルの海中(水深五メートル余)から、佐藤の遺体を発見した。

本件訓練当時、山崎教官は波打ちぎわから約一〇メートル砂浜に寄つた資材置場(ゴム製の救命ボート一、ロープ二、救命胴衣三〇箇を置いていた)付近にいて巡回指導し、砂浜において稲葉教官が浮上訓練の直接指揮をなし、その下で沢田ら五名の助教が適宜、各隊員の手前から浮体の点検、指導をしていた。また事故発生の直前、山崎教官は野村助教とともに救命ボートに綱をつける作業をしていたが、波が荒くなり、隊員が流されているので、急いで駈けつけ、大声で訓練の中止を命じたが、すでに本件事故が発生した。

2  種差海岸の危険性、事故当日の気象、海象

種差海岸は太平洋に面し、その影響をまともに受ける地形にあり、入り組んだ岩礁地帯である。本件訓練の実施場所は、右海岸の一部で、奇岩が入江を形成し湾状になつた海岸の砂浜である。右砂浜と満潮時海底の一部になる陸地寄りの段丘付近は、緑の芝生等があり、風光明媚な海岸で、八戸市の観光地の一つとして広く知られている。

しかし、種差海岸は、沖合い約二キロまで幅広い寒流が南に流れ、しかも入江が多いので潮流は複雑かつ不規則になつて渦を巻き、激しい流れのため海底の地形も変化し、水温も一定せず、砂浜の傾斜も年毎に変化している(昭和五二年五月九日当裁判所の検証時には、長年の時日の経過により右海岸は遠浅になつており、干潮時でもあつたので、本件事故時とは全くその状況を異にしていた)。夏季には海上平穏のときでもうねりが激しく破浪することがあり、水難事故の発生件数が多いため、地元観光協会等三者の連名で遊泳禁止の表示板を掲げて注意を促していた。なお、右海岸線の八戸寄りにある大洲賀海岸の砂浜は、夏の期間市営の白浜海水浴場として開設されている。

事故当日の気象は、八戸測候所の観測結果によると、午後二時現在で晴、気温一八度、湿度五二%、気圧一〇一四・六mb、東北東の風、風速三・七m/s風力三、(午前九時現在の風浪三、うねり二であつたが、その後の右観測結果はない)であつた。

山崎教官が一週間前に右海岸を偵察したときには、その場に居合せた漁民に問い訊し本件訓練が可能であることを確認した。同教官らは、当日午前一〇時半ころ右海岸を事前に偵察したところ、波も比較的穏やかであつたが満潮に近かつた。午後一時過ぎ、訓練開始時にはかなりの波が押し寄せていたが、同教官らは訓練を妨げるほどの荒波ではないと判断し予定どおり訓練を開始した。ところが午後二時過ぎころから徐々に海象が変化し、うねりが高く荒波が押し寄せ、隊員が応用イカダを携行して入水する当時には波も一段と高くなり、約一メートル以上の高波が押し寄せるようになり、遂に午後二時三五分ころ本件水難事故が発生した。

3  行政処分及びその後の措置

連隊では、本件事故が突発的な海象の変化によるものと考え、現地指揮官以下において海象の変化が起りつつあることを確認できなかつた点につき行政責任を追及し、同年七月九日、山崎教官を戒告処分、稲葉教官を訓戒処分、沢田助教を注意処分にそれぞれ付したが、これに対し八戸駐とん地業務隊長は、むしろ訓練場所の選定に問題があつたのではないかとの意見を添えて東北方面総監に本件公務災害の発生を報告した。

なお、本件事故を契機として、翌昭和四二年度以降の水上訓練は、種差海岸を取り止め、小川原湖で実施するようになつた。

四  安全配慮義務違反

1  安全配慮義務の具体的内容

国は公務員に対し、公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものと解すべきところ、右安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び問題となるその具体的状況等によつて異なるべきものであり、自衛隊員の場合にあつては、更に当該勤務が通常の作業時、訓練時、防衛出動時又は災害派遣時のいずれにおけるものか等によつても異なりうべきものであることは、すでに最高裁判例で説示されたとおりである(最判昭和五〇年二月二五日、民集二九巻二号一四三頁参照)。

これを本件についてみるに、自衛隊員のレンジヤー訓練が、困難な状況下における挺身行動の能力を付与するため、天候・気象にかかわらず、長距離かつ数昼夜にわたり諸種の悪条件を克服して任務を達成することを主眼として実施され、隊員の体力・気力の限界においても続行することがあるため、危険を伴う課目が多い訓練であることは、前掲乙第一号証の二(陸上自衛隊の教育訓練に関する達)により明らかである。右のように、当該訓練が自衛隊員の生命身体に対する危険度が高くなればなるほど、国の安全配慮義務は一層厳しくなり、より高度な安全措置を要求されるものと解するを相当とする。このことは、右通達の安全管理の項目においても、レンジヤー教育の計画実施に際しては、綿密周到に安全対策を確立し、危険の発生を未然に防止することが必要であり、特に天候、気象の変化等には十分な考慮を要するとともに水路潜入等の課目及び行動訓練には万全の措置が必要であるとして、安全対策についてその細目を詳く定めていることからしても明白である。

被告は、本件のように危険な訓練の効果を挙げるためには、国は安全配慮義務を免責されるか又は著しく軽減されるべきである旨主張するけれども、本来、危険を伴う職務に携わる自衛隊員の訓練であつても、訓練の目的、効果と危険防止の措置とはこれを峻別すべきであり、前示説示のとおりレンジヤー訓練のように危険の存在が訓練内容となつているような場合には、より一層十分な安全配慮の措置を講じたうえ所期の目的、効果を達成すべきであり、もし隊員の生命身体に危険な事態が発生すれば、直ちに訓練を中止するのが人命尊重の理に叶うものというべきである。したがつて、この点に関する被告の主張は到底採用できない。

2  安全配慮義務者

前示認定のとおり、第三九普通科連隊長は、陸上自衛隊幕僚長の委任を受けて、本件レンジヤー訓練に関する包括的な一般命令を発したに過ぎず、むしろ本件においては、レンジヤー訓練隊の教官に指名された山崎、稲葉両教官がその職務権限に基づいて、訓練課目の細部につき自主的に決定し、隊員らは同教官の指揮命令に従い本件訓練に参加するよう拘束されていたものであるから、右教官らにおいて、その職責上、右訓練を具体的に実施するにつき、情況に応じ隊員の生命身体の安全につき万全を期するよう配慮すべき義務があつたものといわなければならない。

3  安全配慮義務違反

前記認定にかかる本件訓練の具体的状況に即してこれを考えると、山崎、稲葉両教官は、地元八戸駐とん部隊にあつて種差海岸の潮流の変化等その危険性並びに水泳に適しないことを十分に認識していたのであるから、応用イカダの作成、点検のみが訓練目的であれば、むしろ中小河川や湖など波のない安全な場所で、しかも裸体で(前掲乙第五号証によると、隊員の携行品として海水パンツの携行を指示していたことが認められる)、実施すべきであり、また、海浜で実施するとしても遠浅で潮流の変化の少ない白浜海水浴場などを選んで実施すべきであり、訓練場所の選定、方法において、すでに安全配慮義務に欠けていたものといわざるを得ない。

仮りに予定されていた山岳訓練、胆力訓練等の時間的、場所的関係から、種差海岸において本件水上訓練を実施する必要性があり、行動時に備えて隊員に着装のまま入水させることが訓練目的の一つであつたとしても、隊員の着装入水は、裸体の場合に比し、水中における行動が著しく制限され、敏捷な行動ができないため生命の危険がより大きいことは当然予測し得たところであるから、予め救命胴衣の着用を許可し、教官又は助教が救命ボートにロープを乗せて沖で監視するなど事故の発生を未然に防止するとか、一五組のバデイーチームを横隊として一斉に入水させ訓練を実施するのではなく、何組かに分けて順次訓練を実施し、これに助教が付添い個別指導させ、常に刻々変化する海象の状況に注視し、波が高くなつて少しでも危険が予見されたときは、直ちに訓練の中止を命じて砂浜に引揚げさせるなど、隊員の安全配慮につき万全を期すべき義務があつた。しかるに山崎教官らは、右のような安全配慮義務を怠り、次第に波が高くなり荒れ模様になつてきた海中において、着装したままの隊員に一斉訓練を実施し、そのため海象の変化に気付いて急いで訓練の中止を命じたときは、時すでに遅く、事前に準備してきた救命胴衣、救命ボート及びロープ等はその用をなさず、佐藤勇治を溺死させたほか、宮本ら三名の隊員を溺れさせて生命の危険にさらす事態を招いたものといわねばならない。

してみると、被告国は、亡勇治が山崎教官ら上司の指揮命令のもとに参加した本件レンジヤー訓練の実施にあたり、右安全配慮義務を怠り、訓練を強行した過失により本件事故を発生せしめたものであるから、これにより亡勇治及び父母である原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

被告は、本件事故が通常人の予測し得ない自然現象の急変によつて、突如発生した大波のため惹起された全く不可抗力によるものである旨主張するけれども、前示認定説示の次第であるから、右不可抗力の抗弁は理由がない。

五  損害<省略>

六  結論<省略>

(裁判官 土田勇 横山匡輝 石原直樹)

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